沿革
 

松山剣道会の沿革

戦後の剣道は連合軍の占領政策により、昭和20年8月社会人剣道の組織的活動を制限し、同年11月には学校剣道が全面的に禁止され、その後の4年間は剣道の暗黒時代と呼ばれた。
昭和21年5月、県警察は松山市庁ホールに米進駐軍を招待、警察官による番組試合を行い、剣道が警察官の体力増強に必要であることを説明し、その理解を求めた。
これを契機にして剣道復活の機運が高まった。同24年、中原喜一(武専出身)源本音松などが、松山市堀之内に駐屯していたアメリカ軍民生部に働きかけ、剣道は人間を大切にするスポーツという認識が生まれ始めた。

当時の松山市は、多くの家屋を焼失し適当な稽古場が無かった。多賀神社(新立町)境内が使用できることになったが、堅固さに欠けるため大改修が必要になった。工事費を募ることになり、発起人代表に、酒井菊造。顧問に青木重臣(愛媛県知事)。安井雅一(松山市長)。佐々木長治。立川明。大西弘。円嘉治一などが名を連ねた。
趣意書に当時の人たちの一端を知ることができる。終戦以来ここに4カ年を経過し、この間我々は新日本建設のため、あらゆる努力を続けて参りました。しかし過去、現在を静思し、将来に思いをいたしますとき平和国家再建の前途はまことに多事多難であります。国家再建の成否は、国民体力の有無と国民精神の健、不健にあるものと確信しておりますが、体力の養成と国民精神の高揚に最も適した剣道の修練により、青少年の道義心を高めたいと念願しております。
皆様も御承知のとおり、我々が長い間、道を修めた松山市出渕町の武徳殿は、空襲のため灰と化し、その後、諸種の事情により剣道の修練ができないことを非常に残念に思っております。幸い、松山市新立町の多賀神社境内にある、招魂社拝殿を道場として借り受けることになりました。

今後は連合軍の意図を尊重し、他のスポーツ同様に平和的、文化的効果を実らせ、純粋なスポーツ道場として発足したいと思います。
しかし、拝殿五拾坪(百畳敷)の土間張り替えを要し、一般会員使用防具の備え付けも必要であります。先般、同志相図り、皆様方の御協力を仰ぐことになり、募金をすることに致しました。
なにとぞ全幅の御賛同と御協力をお願い申し上げます。
昭和24年9月と記されているが、アメリカ軍への配慮とともに剣道への熱い思いをみることができる。改修ができるまでは、酒井の世話でダンスホール「メリーランド(三番町)」を借りて稽古に励んだこともあった。
昭和24年11月「愛媛県剣道会」の名称で剣道大会を開催したが、アメリカ軍民生部の十人が家族同伴で出席しローレンス大佐は、「剣道は少年から老人にいたる幅広い層で楽しめるスポーツであることが分かった」と理解のあるあいさつをされ、県下各地から集まった五十数名は、感動とともに将来へ大きな展望を持った。
同年11月、剣道会の中心的役割を「松山剣道会」がはたし、これが愛媛県剣道連盟の礎でもある。
松山剣道会、昭和22年、多賀神社にて発足し朝稽古始める(6時〜7時)現在まで55年間休むことなく継続されている。

昭和27年〜昭和43年(松山東警察署道場)
昭和44年〜平成14年継続中(愛媛県武道館)
昭和58年 愛媛県優秀 スポーツクラブ賞受賞
昭和59年 文部大臣賞 優良スポーツ団体として受賞
平成14年 全日本剣道連盟設立50周年記念感謝状受賞
松山剣道会は昭和22年に発足して以来、本年で59年目を迎え、剣士諸君の御尽力もあり、愛媛県下では最も古い歴史を持つ道場となっております。

この間、日本を代表される松山剣道会の大先輩方に

山中 義貞 元愛媛県剣道連盟会長
      元全日本剣道連盟副会長
      (範士七段、慶應義塾大学)
中原 喜一 元愛媛県剣道連盟初代理事長
      (範士八段、武道専門学校)
作道 圭二 元愛媛県剣道連盟理事長
      (範士八段、陸軍戸山学校教官)
源本 音松 元愛媛県剣道連盟理事長
      (範士八段、県警主席師範)
吉岡 真吾 元愛媛県剣道連盟副会長
      (範士七段、県議会議長)
      (御前試合準決勝進出)

蒼々たる大先生方から我々は剣心を戴き現に至っております。

                         平成18年7月



松山剣道会事務局

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